洞窟探検・神奈川県三浦半島の毘沙門洞窟に潜入!
神奈川県の三浦半島にある毘沙門洞窟に洞窟探検をしに行ってきました!
毘沙門洞窟は毘沙門湾の海岸線の断崖にある海蝕洞窟であり、弥生時代から平安時代まで住居、墳墓として利用されたようです。
毘沙門洞窟の周りは無人島のようで砂浜と岩場の海岸になっており、旅行探検隊の私にとってはテンションがかなりアップした場所となっていました。
毘沙門湾にある漁港の左奥に「関東ふれあいの道 三浦・岩礁のみち 盗人狩へ」の標識があります。この場所から盗人狩りへは1.4kmと記されております。
さっそく矢印の方に進み、漁港の敷地の塀を超えるとそこからは岩場になります。
大自然が何億年という年月をかけて作られた岩場を歩きます。
岩場にはカニやヤドカリなど数多く生息していました。岩場にいるカニは岩と同化するようなグレーの色が多く、写真のようなハサミが赤色のカニは木々が生い茂っているところにいました。
岬を回り込むと海岸線が広がっており毘沙門洞窟近辺は岩場と砂浜になっています。砂浜では波によって打ち寄せられた海藻やゴミなどが多く、無人島のような感じになっております。
この日は天気がいまいちだったことともあり、毘沙門洞窟までの歩く間は岩場の遠くの方で釣りをしている人が3人程しかいませんでした。
一部、潮が満ちたときに通れるように飛び石が整えられている場所があります
旅行探検しながら15分ほど歩くと草や木々が生い茂った先に毘沙門洞窟がありました。この生い茂った道を悪戦苦闘しながら進み、蚊の大群と激闘し、ようやく毘沙門洞窟に入ることができました!
毘沙門洞窟はどこにでもあるような洞窟でした。
洞窟は奥行10m程しかなくその奥には小さなお釈迦さまが置かれており、ちょっと不気味な雰囲気もありました。洞窟の奥の方には狭い道がありさらに先に進めそうでしたが、今回は行くのを止めてしまいました..
毘沙門洞窟は海から近くにあり、洞窟の入り口は砂浜から5mほど高いところにあるので台風や満潮時にも海水が入ってこなかったので古代の人々はこの毘沙門洞窟を生活の場として利用されていたのだと感じました。
毘沙門洞窟について
神奈川県指定史跡 毘沙門洞窟弥生時代住居阯群(昭和35年11月4日指定)
これらの海蝕洞窟は、弥生時代から平安時代まで住居、墳墓として利用されたものです。
この洞窟からは、おもに弥生時代の漁撈技術を物語る鉄、青銅、鹿角製の釣針、鹿角製の銛などの漁撈用具、アワビ貝で作った貝包丁などの農耕用具、腕輪やかざり棒などの装身具類が出土しています。
当時の人たちがこれらの漁撈用具などを使用し、取った貝や魚、また獣類の骨も多量出土して、出土遺物は種類、数量ともに豊富で当時の生活を知る上で貴重な遺跡です。
さらに、鹿の骨を焼いて吉凶を占った「ト骨」が出土した遺跡として知られています。なお、弥生時代から平安時代にかけて、特に平安時代には墓地として使われたようで、埋葬された人骨も発見されています。
平成22年3月
神奈川県教育委員会 三浦市教育委員会
その後、我々は海岸線を歩き浅間山へ向かいました。
◆ おまけ
毘沙門洞窟前の草木が生い茂る道で蛾か何かの幼虫を発見しました。なんかグロテスクですよね…