岐阜城へ金華山ロープウェイに乗り旅行探検しに行ってきました!
2019年12月31日に金華山にある岐阜城へ旅行探検しに行ってきました。
岐阜城に行った時、たろきちは岐阜城について知識がなかったのですが、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」を見て歴史を学び、この岐阜城(稲葉山城)が舞台になっていることを知りました。
また斉藤道三が城主だったころは稲葉山城と称し、織田信長により岐阜城に改名されたことを知りました。
金華山ロープウェイ
ホテルグランヴェール岐山から岐阜公園まで長良川沿いなどを歩き金華山ロープウェイに乗り金華山山頂へ向かいました。
早朝8時過ぎに長良川河川敷を歩いて岐阜城へ向かいました。
金華橋を通過!
岐阜公園には9時過ぎに到着!すでにロープウェイは営業されていました!
ホテルグランヴェール岐山から歩くこと約1時間で金華山ロープウェイ入口に到着しました。
ぎふ金華山ロープウェイ・往復乗車券を購入しました!
この後に金華山ロープフェイに乗りろおぷ亭山頂駅へ向かいました。
ろおぷ亭山頂駅からさらに歩くこと約10分で岐阜城に到着しました。
岐阜城
標高329mの金華山山頂に立つ岐阜城は4階建てで天守閣は岐阜市や長良川など360度見渡せる展望となっています。
旅行探検した日は少し雲が多かったのですが、北アルプスや御嶽山なども見ることができました。
「天下第一の門」と「二の丸門」を通り、ついに岐阜城が姿を現しました!
永楽銭の旗印について帰宅後に調べてみました。
永楽通宝(えいらくつうほう)は、中国の明朝第3代皇帝・永楽帝の代、永楽9年(1411年)より鋳造され始めた銅製銭貨。日本では室町時代に日明貿易や倭寇によって大量に輸入され、江戸時代初頭まで流通。永楽銭、永銭などと呼ばれた。
永楽銭の旗印
織田信長は、永楽通宝の意匠を織田家の旗印として用いていた。理由は明らかでないが、貨幣流通に早くから注目していたためであるとも言われる。信州上田城には、永楽通宝紋入の鬼瓦があり、これは上田藩主となった仙石忠政の父秀久が織田家臣時代に信長から拝領した家紋であると伝えられている。※ウキペディアによる説明
岐阜城入場料を払い一気に天守閣へ向かいました。
景色最高でしたよ(^^)/
岐阜城から北アルプスから中央アルプスまで眺望できるんですね!
この眺望は素晴らしいかった!
ロープウェイで下った後に鵜飼観光船を見に行ってきました。
岐阜城について
パンフレットによる岐阜城についての説明です!
信長公・道山公ゆかりの城
岐阜城は、かつて稲葉山城と称していました。金華山頂にはじめて砦を築いたのは、鎌倉幕府の執事二階堂山城守行政と伝えられています。戦国時代には、斎藤道三の居城でもあったところです。特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄十年(一五六七年)(一説に永禄七年)八月、不世出の英傑織田信長がこの城を攻略し、この地方一帯を平定するとともに、地名も「井の口」を「岐阜」と改称し、天下統一の本拠地としてからでした。しかし、慶長五年(一六〇〇年)八月、関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長の孫秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城しました。翌慶長六年、岐阜城は廃城となり天守閣、櫓等は加納城に移されました。現在の城は、昭和三十一年七月、岐阜城再建期成同盟によって復興されたもので、鉄筋コンクリート造り、三層四階構造で延べ四六一.七七㎡、棟高一七.七mの威容を誇ります。城内は一階「武具の間」、二階「城主の間」、三階「信長公の間」となっており、最上階の「望楼の間」は展望台として多くの人に親しまれています。
平成二十三年二月、金華山一帯が「岐阜城跡」として、国の史跡に指定されました。
勉強になります(#^^#)
麒麟がくる
NHK大河ドラマはあまり見たことがなかったのですが「麒麟がくる」は面白いですね。
放送される前に岐阜城に行ったので親近感を持ちながら「麒麟がくる」を見ています。
今は新型コロナウイルスの影響でドラマは中断になっていますが、全44話は放送されるようなので今後も楽しみにしています。
※2020年6月7日<第21回>の放送をもって、一時休止
岐阜城情報
旅行探検日 | 2019年12月31日(火) |
城名 | 岐阜城(稲葉山城) |
金華山ロープウェイ | 往復乗車券:1100円 |
岐阜城 | 入場料:200円 |
※詳しくは岐阜市のホームページを見てくださ~い!
おまけ
岐阜公園は「板垣退助遭難の地」でもあったんですね。