原付バイクで神奈川県伊勢原市の大山へツーリング
神奈川県伊勢原市の大山の紅葉を見に旅行探検してきました!
神奈川県伊勢原市の大山に原付バイクで旅行探検に行ってきました。
10月上旬にぎっくり腰になり、まだその影響で腰や足に痛みがあったため、今回は大山に登るのではなく紅葉観光と次回の大山の旅行探検のための下見として行ってきました。
藤沢を出発し県道44号線⇒国道246号線⇒県道611号線を走り、途中寄り道をしましたが約1時間30分ほどで丹沢大山国定公園入口に到着しました。
丹沢大山国定公園入口からは丹沢山系の大山を源泉とする「鈴川」沿いを進みます。途中に「かながわの橋100選」に選ばれた「加寿美橋」などの探検スポットがあり、約5kmほど進むとケーブルカー乗り場から一番近い市営第2駐車場に到着します。
鈴川には加寿美橋など幾つかの橋がありましたが、そのほとんどの橋は赤色で塗られていました。そこで、あらためて調べてみると赤色には「清める」や「祓う(はらう)」といった意味があり、また「炎」を連想することより古くから魔除けに使われてきた色だそうです。川(水)には魔物が潜みやすいとされているので、魔除けのために橋を赤色に染めているという説があるそうです。
※今まで知らなかった…(^^;
ケーブルカー乗り場から一番近い市営第2駐車場は既に満車で10台ぐらい駐車場待ちの列となっていました。
駐車場の前にはバス停留所(終点)のロータリーがあり、原付バイクを停められそうなスペースがあったのですが、警備員さんが目を光らせており原付バイクを停めることができませんでした。
自動車ではこの市営第2駐車場までしか行けませんが、駐車場のちょっと先は細い路地になっており、その路地で迷惑が掛からなそうな場所に原付バイクを停め近辺を旅行探検をしてきました。
当初はケーブルカー乗り場まで行こうと考えていましたが、そこまで行くのに坂道や階段があるこま参道を15分ほど歩かなければいけないということで、今回はこま参道入り口で引き返してきました。残念…
大山と言えば大山豆腐が有名ですが、なぜ有名になったのか調べてみました。
その歴史は古く、紀元前97年に阿夫利神社が、奈良時代の天平勝宝7年(755)に大山寺が創建され、鎌倉幕府を開いた源頼朝を始め、足利尊氏、小田原北条氏等、多くの武士の信仰の対象になりました。
江戸時代に移り徳川家康が慶長10年(1605)、大山の大改革を「寺院法度三ケ条」を行いこれにより、山上にいた多くの修験者や妻帯の僧らが前不動から下におろされ、大山と蓑毛(秦野市)に定住して御師になりました。
改革の後、江戸市民の中の知識人や上層商人の間でも、大山の存在が認識されるようになり、大山信仰は江戸の市民にも広がっていきました。
宿泊の形態も「木賃宿」から一泊二食付きの「旅雁」へと移り変わり、御師たちが食していた精進料理である豆腐料理が広まっていきました。「大山と言えば豆腐料理」と言われるほど有名な名物となりましたが、それにはいくつかの理由があるそうです。
例えば、
「参詣者に供給する大里の食糧を保存しておく設備などがないため、井戸水などの冷水につけて保存できる豆腐などは、最適の食糧であったこと。」
「豆腐の製造と保存に適した霊峰大山の良質の水が使われたこと。」
「江戸の発展と共に大幅に参拝者が増えていったこと。」
「豆腐が修験者や僧職経験者が食べ慣れた精進料理だったこと。」
「大山の御師たちが配札や祈祷、日侍行事などを行い、謝礼として受け取り集められた大豆などの豊富な原材料が大山に集中したこと。」
…など。
このように多くの要因が複合し、高品質の豆腐が大山に生み出され、さらに育っていったために「大山の名物=豆腐」という図式ができあがったようです。
大山豆腐もそうですが大山全域が各時代の将軍が大きく携わっていたんですね。とても勉強になりました。
今回は大山豆腐を食べずに帰ってきてしまいましたが、次回は必ず食べたいと思います。